1.1.13

リチャード・ローティさんからサイファイ研が目指すところを考える



リチャード・ローティ(1931-2007)さんが哲学における創造性について語っている。それは、古くからある問いに解を与えることではない。そうではなく、これまでの問いの枠組みを取り払い、全く新しい組み合わせを作り出すこと、すなわち、全く新しい問いを出すこと、新しい方向性を示すことである。哲学の仕事は解説することなどではなく、新しい概念を出し、一つの提案をすることだと言う人もいる。

さらに、哲学の使命とデモクラシーの関係についてはこう言っている。哲学の使命は民主主義の基盤を問うことではなく、どのように民主主義に貢献できるのかを問うことである。これを人間に置き換えれば、哲学は人間の本質を問うところに留まるのではなく、どのような新しい人間に成るのかを探るところまで行かなければならないことになる。自分に返ってくるのである。

彼はまた、哲学が科学的であろうとする流れにも異論を持っていたようだ。科学が哲学から去った今、哲学のやることは形而上学を排除することではなく、残された形而上学を極めることではないのか、とするマルセル・コンシュさんとも通じる。それは同時に、わたしのものになりつつある考え方にも近い。 

この視点からサイファイ研の将来を考えるとどうなるだろうか。現在のモットーは、

「科学、哲学、歴史」 から 「人間存在の理解」 へと飛翔する

となっている。ローティ的考え方に従えば、これは第一段階の目標に過ぎないことになる。同時に考えておくべきは、「自分をどのように変容させるのか」 ということではないのか。

人間は最後まで人間に成れない動物である。であるとすれば、最後までそこに向けて飛翔し続けなければならないことになる。サイファイ研の先には長い道のりが待っている。


(2015年7月29日)