4-SHE 「脳と心」

第4回 「科学から人間を考える」 試み


The Fourth Gathering SHE (Science & Human Existence) 

テーマ: 「脳と心、あるいは意識を考える」 
Brain and Mind, or Consciousness

 2012年11月29日(木)、30日(金) 18:20-20:00
いずれも同じ内容です

案内ポスター
内容: 今回は、哲学と科学との交わりが特に強い領域について考えることにしました。19世紀末、ドイツの生理学者エミール・デュ・ボワ・レイモンは世界の9つの謎を挙げ、その中の3つに関しては人間はこれからも知ることはないだろうとの考えを発表しました。その中の一つに意識の問題が含まれています。脳内の物質の物理化学的変化から非物質である精神活動がどのようにして現れるのか。歴史的にはデカルトが明確に分けた空間を占める物質としての身体・脳 (延長実体)とそれとは重ならない非物質としての精神・心(思惟実体)との関係は、一体どのように考えられてきたのだろうか。最新の科学の成果と合わせて考える予定です。
会場: カルフール会議室
Carrefour

 東京都渋谷区恵比寿4-6-1 恵比寿MFビルB1
電話: 03-3445-5223

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第4回のまとめ

お忙しい中、ご参加いただいた皆様に感謝いたします。
お陰様でこの試みは無事に終了いたしました。

今回使用したスライド(イントロ)
関連論文 (神経心理学 29:35-43, 2013)
講師の発表内容 
 
今回のテーマ「脳と心、あるいは意識」もこれまで同様、非常に大きな問題で、短い時間で論じるのは大変であった。この問題に入る切っ掛けとして、脳と心の相互の関係がこれまでどのように考えられてきたのかについての大枠について纏めることにした。具体的には、デカルトによる心身二元論に付き纏う脳と心がどのように相互作用するのかという問題について触れた後、脳内の物理化学現象がどのようにして人間の中に生まれているように見える「赤い」であるとか「痛い」という感覚(クオリア)に変換されるのかという難しい問題について紹介した。

これらの問いについて、実に多様な説明が提出されているがその中のいくつかの考え方について検討した。心身二元論の立場一元論の中の観念論、あるいは唯物論に分類される行動主義の立場を採る研究者は現在では少なく、物理主義の流れが主流になっている印象を持った。しかし、満足のいく解はいまだ出されておらず、難しい問題が将来解決されると確実には言えないのが現状であると受け取った

今回は脳と心の関係に重点を置いたため、意識そのものについて考察する時間は取れなかった。意識の問題も壮大な規模になるが、いずれ改めて考える機会を持ちたいものである。

今回、新たに参加された方は全体の1/3であった。ちなみに、新人の割合は第2回が1/2、第3回には2/5であった。これからどのような経過を辿るのかはわからないが、今のところ丁度良い新旧の割合になっているように感じている。

懇親会は第2回から始めたが、ここにきて参加者間の単なる親睦というレベルを超えて、リラックスした雰囲気の中でディスカッションを深める時間として積極的意味を帯びてきているように見える。悦ばしい展開であると考えており、これからもこの試みの重要な一部として大切にしていきたい。

参加者からのコメント

 ● 今日も本当に楽しい会でした。ありがとうございました。初めてお目にかかる方々と、喧々諤々、議論できるなんてこんな幸せありませんね。エピトープとかパラトープといかいって話が通じるだけでも、めったにないことです(免疫学会だったら普通かもしれませんが)。おかげさまで来年7月にジュネーブで開かれる国際言語学者会議でポスターが2本採択されました。論理的音節がつくるデジタル言語学というのと、可変部と不変部の両方を使って文節が伝わる仮説、という怪しげな説ですが。これもいろいろとご指導いただいたおかげです。ありがとうございました。日本の滞在が実り多くありますよう、お祈り申し上げます。

● 矢倉先生におかれましては、今回も大局的に深い洞察を参加者に促す有意義なお話を賜わり、有難うございました。参加者の皆様におかれましては、為になる意見の数々を賜わり御礼申し上げます。話を聞いていて、自分の意見が固まってきていたところ、あと30分時間があればと思ったところです。   それから「医学のあゆみ」に矢倉先生が寄稿されていた記事も考えさせられるもので、参加者に記事部分を配布していただければ為になったと思いました。

● 本日は有意義な時間をありがとうございました! 私は、テーマ内容を理解するのに時間がかかったので、自分の考えをまとめて意見を述べるのが間に合いませんでした。他の方々の意見を聞いていくなかで、自分はどう考えるかということを考えていたら時間がなくなってしまいました(笑)。みなさん、すごいですね。。。

懇親会では、会場で発言されなかった方々とも意見を交換できたのがよかったです。先生に少しお話しましたが、社会で起きている具体的な事象を取り上げて、テーマと絡めて考えるとより充実した議論になるのではないかという気がしました。でもあの時間内でおさめるのは難しいかもしれませんね。。。社会で起きている事象を考えることは人間の営みについて考える契機となるように思ったのですが、それは社会人文科学の分野かもしれません。

ひとくちに「意識」といっても二段階あるという指摘は重要だと思いました。 というのも、単なる情報の知覚と得た情報を再度考え直すということでは同じ意識でも全くことなる事象だからです。これは、現象を取り出して考えて行く現象学、形而上学がよりどころとしているところのように感じました。 

今日は、科学的な見地というものがどのようにしてなされているかについて懇親会で少しお話を伺うことができて刺激的でした。お話によると、科学的な見地では仮説を立て、その仮説が正しいということを実験等でデータを収集することによって証明することを目指します。一般的にこれは常識、と見なされているものについても、それはそうではない、という仮説を立て、証明して覆してしまう人もいます。これはこうだと思っていたことが一瞬にしてヒックリカエル可能性を持っている科学には、そのスリリングさや仮説ドウリに結果が得られたときの快楽があるのだろうと感じました。私はそのお話を聞いて、競馬をするのと少し似ていると思いました。予想(仮説)→レース(実験)→結果という構造です。

面白いと思ったのは、その仮説を立てる際に意外と直感に頼っていることもあるということです。ある日突然「これこれは実はこうなのではないか?」という考えが降って来たり沸いて来たりすることがあります。これまで全く意識することなかったことがふっと意識されるとき、というのは私自身の経験として存在しています。それは何の前触れもなく、そして特にそのことについて考えていないときにやってきます。(同じことについてずっと考え続けているときというのは、結構行き詰まるものです。)アイデアを使って新しいものを創りだして行っている人の言説に、ひとしきり考えたあとは少し放置するとそのあと降ってくるというのを読んだことがあります。少しの放置期間は全く別のことをしています。意識していたものを一旦無意識に預け、それが自然発生的に再び意識されるのを、意識のもとに到来するのを待つというのです。

このような意識の動きを利用しているのは、小説を書く作家においてもそうです。たとえば村上春樹は2011年6月にスペインのカタルーニャで行われたインタビューにおいて、インスピレーションの源がリアリティーにあるか、フィクションにあるかという質問に、現実にはありえない話だが比喩的にはリアルであるような物語が好きですと語ったあとで、そのアイデアがどのようにでてくるのかについてこのように答えています。「実のところ、自分では何も考え出していないようなものです。そうしたイメージはごく自然にやってくるのです。」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです〜村上春樹インタビュー集1997-2011』村上春樹、文春文庫p553)

私個人としては、このように、作家やアーティストといった人たちが、何かを創造するという行為はどのように行われているのか、に非常に興味があるのですが、その創造の源となるものがあるとして、それを意識する過程というものが実際にあるわけです。降って沸いたようにそれは突然やってくるわけですが、人間という物質的な場において起きているため、もちろん、ある具体的な物質が脳内で働いて起きていると想像することはできますが、現在のところ、科学的な手段によって証明されているわけではないようです。

仮にそれが証明されたとするとどのようなことが起きるでしょうか。おそらく、「創造力薬」というようなものが開発されて、アーティストになりたいと希望するひとが薬を求めることでしょう。(トランス状態をもとめてクスリをやるというのはこれにちょっと近いかもしれません、アイデアのヒントを求めてみずからをトランスさせたいというレベルですが。)あるいは意識を失った状態の人の意識を回復させることができるようになるかもしれません。また、人間ではないものに、意識を植え付けるというようなことが可能になるのかもしれません。そうなったあとの世界というのは想像すると怖いですね、、、、人間でないものにまで意識が宿り、おのおのがおのおのの意識で独立して行動している世界なんて!!! 人間が植え付けた意識によって人間が絶滅させられてしまうなんてことも起こってしまうかもしれません。

そう考えると、真理を追究し、それを突き止める快楽という科学がある一定のリミットを持っているのは人間にとって幸運なことなのかもしれません。 そうさせないために、世界は混沌に満ち、複雑で、カンタンにキレイに割り切れないようになっています。哲学の快楽というのは、その混沌とした世界に一つの道筋を与え、理解しようとしながらも、あーでもないこーでもないと考え続けるこの営みにこそ宿っているように思います。

次回も楽しみにしております。  
みなさん、どうもありがとうございました。

● フランス人たちが何を話しているのかぢっと耳を澄ませて聞いていると、結構自由奔放にあっちこっちに考えを巡らせて会話を楽しんでいます。決してカンタンに迎合はしませんが、あらゆる想像力を駆使してその世界を楽しみます。突拍子もないことを冗談で言って大笑いします。底抜けの明るさを感じます。想像するためには知性が必要です。なぜなら実際には経験していなかったり、現実には存在していないような事柄を扱うからです。科学においては、仮説する段階でしょうか。会話で想像力を駆使してフランス人と大笑いするまでには、時間はかかりそうですが、日常的に精神的自由を求めて想像する力を鍛えたいという思いが今はあります。それがフランスで学んだことの一つではあります。会話しながら自分も積極的に発言できるようになりたいので、それを目指して精進します。  

フランス人は知的であることにどん欲ですね。読書という行為を非常に知的な行為として認識している人々が一般人のレヴェルでもとても多いのです。 私もたくさん本を読んで、知的な人々の仲間入りしたい!というあこがれを持っています(笑)もちろん、昨日の会がなければ、昨日今日と人間の意識についてしつこく思いを巡らすようなことはなかったと思います。会に参加して本当によかったですし、楽しかったです。3月も日本にいる可能性が高いので、参加できたらしたいと思っています。今後ともよろしくお願い致します。

● いろいろとご助言をいただいたおかげで、言語の起源論・メカニズム論について、だいぶ仮説が深まってまいりました。編集者の方まで食い入るように聞いてくださり、昨日は感激しました。

● 本日はいろいろな方の考えも伺えて大変楽しかったです。専門に近い内容でしたので、逆にあまり発言をしないようにと控えるつもりでしたが、やはりこういったテーマではちょっとしゃべりすぎたかなあと思いました。議論好きですので、また機会があれば参加したいと思います。今後とも宜しくお願いします。

● 意識について、議論がややまとまらなかったことについてですが、意識には、  (1)「まだ意識がある」、「彼女のこと、意識しているね」といった、感覚器官からの特定刺激に反応するという機能と、(2)「意識の中から、昔の記憶が甦ってきた」、「こうやってひとつひとつの経験が、意識を形成するんだ」といった、ものごころついて以来の個人の経験や学習の総体と、ひとつの意識なのでしょうが、違った局面があります。それが混同されていたので、議論がややまとまりを欠けたのではないでしょうか。これらを意識の下部作用として、別の言葉で分類できないものでしょうか。

● 本日はお世話様でした。早速、メールを頂きありがとうございます。スライドまた拝見させていただきますね! 風邪引きの為、二次会には行けませんでしたが、本日も楽しく拝聴させていただきました。 勉強になりました。ありがとうございました。ノロウイルスが今流行っているので、くれぐれも お気を付け下さいね・・・。また、来年を楽しみにしております。それでは、良い滞在を~♪

● セミナー資料をお送りくださり誠にありがとうございます。木曜日の会では、何やらモノスゴイお話を耳にした様な気もしますが、あのような参加者ばかりですと私の様な者は敢えて発言する必要もありませんので楽チンでした(もっとも、欧米では発言しない者は存在価値はないと見做されるでしょうが・・・) 

さて、今回のテーマは、出席させていただいた過去3回の中で、私には一番難解に思えました。残念ながら先生のお話を殆どフォローできませんでした。 しかしながら、後半部にて、phenomenality (無意識)がnon-REM睡眠に、reflection on phenomenality(意識)が覚醒時と同じ脳波を示すREM睡眠に何やら相当するとのお話をお聞きし、夢はREM睡眠時にみますので夢を見る事は雑多な情報を統合し意識化する行為なのだなと妙に納得した次第です(あるいは錯覚しました)。

● 先日は第4回のセミナーご苦労さまでした。講演そのものは興味深くお話を伺いましたが、フリートークになってからが、専門的になりすぎてこれまでの回とは多少趣きが違う感じがしました。 

● 「心」「意識」という日本語を使う場合、その言葉が意味しているものが何かを暫定的であっても明確にしておかないと、議論がかみ合わないと感じました。

1) 懇親会での話
①ガガーリンが地球に戻って初めてみた生物(ロバ)に向かって、「地球は青かった。そして美しかった。」と言わずにいられなかった。ロバは地球をみて「青い」は認識できたとしても、「美しい」はわからないと思うので、「美しい」と感じるのが「こころ」ではないか?との発言がありました。

これを聞いて私が思い出したのが、ツタンカーメンのお墓に妻が手向けたという花束、つまり「人の死を悼む」という感情が生まれた時の人の精神のことでした。この場合、「こころ」は感情あるいは気持ち、魂の意味合いだと思います。 

②第二の脳ともいわれる「腸内細菌」、第三の脳ともいわれる「皮膚細菌」のお話が出ました。腸内細菌については、10年ほど前から興味をもっていたので、「うつ病と関連のある腸内細菌が見つかっている」という指摘は、興味深いものでした。私は、人間の情動を左右しているのは大脳の旧皮質ではなく、もしかしたら腸内細菌ではないのかと想像したりしています。

2)神経心理学者Damasioの考えるconscioiusness   
私の場合、患者さんの「意識障害」の有無をみることが要求される場面がありますので、以下の考え方がなじみます。彼が「a special quality of mind」と考えた、そのmindは何か?についても、日本語で的確に表現する必要があります。「人間の知性/理性」ということになるのでしょうか? 


Dr. Antonio Damasio, a neuroscientist from the University of Southern California who has studied the neurological basis of consciousness for years, tells Big Think that being conscious is a "special quality of mind" that permits us to know both that we exist and that the things around us exist. He differentiates this from the way the mind is able to portray reality to itself merely by encoding sensory information. Rather, consciousness implies subjectivity—a sense of having a self that observes one’s own organism as separate from the world around that organism. 

"Many species, many creatures on earth that are very likely to have a mind, but are very unlikely to have a consciousness in the sense that you and I have," says Damasio. "That is a self that is very robust, that has many, many levels of organization, from simple to complex, and that functions as a sort of witness to what is going on in our organisms. That kind of process is very interesting because I believe that it is made out of the same cloth of mind, but it is an add-on, it was something that was specialized to create what we call the self."
 
● こんばんは。昨日は、貴重なお話、ありがとうございました。私は、哲学も心理学も基礎的なことはほとんど知りませんが、楽しく拝聴させて頂きました(他の参加者と比較しますと、専門的知識がなく申し訳ございません。 今回の先生からのお話は、私にとって、考えるための宿題になりまして、とても感謝しております。今回の一番の疑問は、「認識した物理化学現象がどのようにして意識になるのか。」ということです。その意識が「記憶」になるには、どのような現象によって、記憶されるのでしょうか。 このことが科学的に証明されれば、世の中はどうかわるのでしょうか。人間同士の話は不必要になる?? また記憶の操作も可能になるのであろうか等、まだまだ考えさせて頂けるネタがたくさんでてきました。今、私も先生と同じく、大学に通っております(私は学部生と、してですが)ので、落ち着いたところで哲学か心理学、脳科学等の勉強をしたいなぁと、思っています。 また、第5回も都合が付きましたら、懇親会も含めて、是非、参加させて頂こうと思っております。よろしくお願いいたします。

● 11/29,30のSHE、ありがとうございました。二日連続でレクチャーを受けスライドを見ていると,一度目ではきづかない,目が届かないところに意識がむくということがあって,そういう意味でも貴重な体験でした。今回の参加者は科学者・研究者の方が今まで以上に多かったように思います。サイエンス・サロンの様な雰囲気で,一般の方(僕も含め)には取っつきづらい部分もあったかも知れませんが,科学的な話題の意見交換は水準が高く,興味深く感じました。科学者の方たちもSHEのような科学的話題を一歩引いて考え直すことのできる場を求めていらっしゃるということも新鮮な発見でした。今後とも,なにとぞよろしくお願いいたします。

● 先日はお世話になりました。あのようなテーマに関心を持ち、真剣に議論する人たちが多数いること、議論の質の高さにビックリするとともに、何かしら元気を貰いました。私はJ-P Changeux 先生や御子柴先生の話を聞いていて、脳科学が更に進歩して、脳のメカニスムがすっかり解明されると心も意識も科学的に説明されうるようになるのか。其のとき倫理学はどうなるのか。などについて素朴な質問をもち続けています。解からないなりに哲学には興味を持っています。引き続きご指導のほどお願いします。

● 先日は講義をありがとうございました。また、コメントが遅れて申し訳ありません。脳科学と人間の認識を結びつけるという最後の方の議論ですが、知覚あるいは運動と解剖学的部位の局在に関して現在疑う人はいないと思います。また、短期記憶、情動、長期記憶の一部(視覚記憶)に関しても、解剖部位とそれらをつなげるモジュールが同定されており、これらの現象が「物理学的、化学的に還元可能」である可能性が高いことがわか っています。しかし、意識の脳局在に関しては、現時点では、そのような大脳の部位はない、ということになっているようです。

意識を反応、記憶、情動を関連づけて意味付けるという作業とするならば、様々 な神経ネットワーキングをメタのレベルで(あたかも観察者のように)認識することが必要であり、それは先生がnon-remとrem睡眠で示した様な 各応答の関連性でしか浮かび上がってこないのかもしれないと思っています。先生は、実際に指と指をつなげることと、指と指がついたことを想像する、とい うお話をされていましたが、私がこれこれの動作をしている、と意識するタイミングが、実際に体が動くのより遅い、ということもわかっています。おそらく、意識というものは、単なるニューロン/シナプスの伝達だけではなくホリスティックな神経活動による関係性の把握、統合をするため、かなり時間がかかる作業なのではないかと思います。もっとも、意識は現代脳科学の最大の課題でトピックスでもある様ですし、これから情報科学あるいは構造科学的アプローチを含めて意識の構造を明らかにする研究成果が出るかも知れません。

以前、仏教の唯識についてお話ししましたが、仏教は実在論を否定しますので、外界の認識は全て心を通してのみ行われ、かつ、「意識」や「心作用」が実在するという立場もとりません。しかし、物質や意識の否定ではありません。物質存在を人間が認識するということは、人間のもつ認識方法(識)によらなければ不可能であり、意識は個々の心作用の関係性から創出される。そして次の識の因となりつつ刹那に消滅する。唯識は喩伽行の実践を通して作られた哲学体系であり、単なる観念論や唯心論ではなく、ユクスキュルにも、脳科学にも通じる関係性の哲学というのがシロウトながら私の現在の理解です。

それにしても、様々な方の多様な意見を聞くことができ、また、それについて思索することもでき、大変貴重な時間を過ごさせていただきました。素晴らしい会です。これからのご発展をお祈りしております。また機会があれば是非参加させていただければと思います。今後とも宜しくお願 い致します。   

● お世話になっております。 返信が遅くなりまして失礼しました。先日のディスカッションは非常に有意義でした。 以下、コメントします。私も理系ですので還元主義は理解しやすいものの、一方でそれを味気なく感じてしまいました。 たとえ、これが真理だとしても、自分の精神が自分を構成している物質を支配していると思いたい、 または尊重されるべきものと思ってしまうのではないでしょうか。 科学や技術を広報する仕事をしておりまして、科学の知見をそのままお伝えして、伝わるのかを日々自問しておりますので、今回のような議論は考え方の多様性を感じ取るのに興味深いフレームであると感じました。今後もぜひ参加したいと思います。 よろしくお願いいたします。


フォトギャラリー

2012年11月29日(木) 



  

2012年11月30日(金)





(2012年12月2日)