「パリから見えるこの世界」


医学のあゆみ 連載エッセイ
「パリから見えるこの世界」
« Un regard de Paris sur ce monde »



2012年2月から月1回のペースで総合医学誌『医学の歩み』に医学、科学、哲学、歴史、フランスなどをキーワードに書いてきましたが、2022年3月で終了いたしました。長い間お付き合いいただき、ありがとうございます。

2023年6月、この中のエッセイを選び、再構成したものを免疫学者のパリ心景――新しい「知のエティック」を求めて』(医歯薬出版)として刊行いたしました。是非、お手に取っていただき、長くお付き合いいただければ幸いです。

 (2022年6月24日) 


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今回、これまでのエッセイを英訳し、このシリーズに含まれているテーマを再考することにいたしました。完成バージョンは、PDFマークをクリックしていただければ読むことができます。何年かかるか分かりませんが、このプロジェクトもよろしくお願いいたします。

If you would like to read these essays in English, please click on the PDF symbol on each essay. I think it will take some time for all of them to be ready. I hope you enjoy them. 


(2023年4月13日)

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105篇すべてのエッセイを一つのファイルにまとめてみました。

 

お楽しみいただければ幸いです。

(2023年4月23日)

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2012

(1) 科学から哲学、あるいは人類の遺産に分け入る旅
医学のあゆみ (2012.2.11) 240 (6): 549-552, 2012

(2) 自然免疫、あるいはイリヤ・メチニコフとジュール・ホフマン
医学のあゆみ (2012.3.10) 240 (10): 837-840, 2012

(3) モンペリエの生気論者ポール・ジョゼフ・バルテ、あるいは過去が漂う世界
医学のあゆみ (2012.4.14) 241 (2): 171-174, 2012

(4) フランスの大学で哲学教育を受け、文化に根差すということを考える
医学のあゆみ (2012.5.12)241 (6): 486-490, 2012

(5) フィリップ・クリルスキー教授とともに専門と責任の関係を考える
医学のあゆみ (2012.6.9) 241 (10): 802-805, 2012

(6) クラーク精神から近代科学の受容の背後にあるものを考える
医学のあゆみ (2012.7.14) 242 (2): 213-216, 2012

(7)  ニールス・イェルネというヨーロッパの哲学的科学者から見えてくるもの
 医学のあゆみ (2012.8.11) 242 (6): 559-563, 2012

(8) フランソワ・ジャコブという存在、あるいは科学は哲学に行き着くのか
医学のあゆみ(2012.9.8) 242 (10): 832-836, 2012

(9) ルドヴィク・フレックという辺境の哲学的医学者と科学社会学
医学のあゆみ(2012.10.13) 243 (2): 203-206, 2012

(10) エルンスト・マイヤーとシーウォル・ライトというセンテナリアン、あるいは100歳からものを観る
  医学のあゆみ(2012.11.10) 243 (6): 551-554, 2012

(11) ダーウィンのパンゲン説,あるいは科学が求める説明
 医学のあゆみ(2012.12.8) 243 (10): 929-933, 2012


2013

(12) 初めて知る「世界哲学デー」で哲学教育を考える
医学のあゆみ(2013.1.12) 244 (2): 196-199, 2013 

(13) 21 世紀の科学,あるいは新しい「知のエティック」
医学のあゆみ(2013.2.9) 244 (6): 572-576, 2013

(14) 森鷗外とパウル・エールリッヒを結ぶもの
医学のあゆみ(2013.3.9) 244 (10): 944-947, 2013

(15) 「水の記憶」の科学者ジャック・バンヴェニストとリュック・モンタニエ
医学のあゆみ(2013.4.13) 245 (2): 203-206, 2013

(16) 修道僧にして哲学者、科学者のジョルダーノ・ブルーノ、その壮大な宇宙
医学のあゆみ (2013.5.11) 245 (6): 541-545, 2013

(17) アリストテレスのエネルゲイア、あるいはジュリアン・バーバーの時間
医学のあゆみ (2013.6.8) 245 (10): 895-899, 2013

(18) ペスト菌発見者アレクサンドル・イェルサンという人生と北里柴三郎
医学のあゆみ (2013.7.13) 246 (2): 201-205, 2013

(19) リチャード・ロバーツ卿の考える科学、そして黒澤和教授のこと
医学のあゆみ (2013.8.17) 246 (6,7): 522-526, 2013

(20) ネガティブ・ケイパビリティ、あるいは不確実さの中に居続ける力
医学のあゆみ (2013.9.14) 246 (11): 989-993, 2013

(21) 17世紀の科学から豊穣と悦びのオランダの旅へ
医学のあゆみ (2013.10.12) 247 (2): 213-217, 2013

(22) デン・ハーグでエッシャーを発見、そしてスピノザの世界を想う
医学のあゆみ (2013.11.9) 247 (6): 577-581, 2013

(23) イスラエルでラマルクと進化を考える
医学のあゆみ (2013.12.14) 247 (11): 1193-1197, 2013


2014

(24) 後世はラマルクの復讐をしたのか、そして初めてのイスラエル
医学のあゆみ (2014.1.11) 248 (2): 174-178, 2014 

(25) 2013年、パリ、ロスコフ、ニューヨークで医学の哲学を考え始める
医学のあゆみ (2014.2.8) 248 (6): 491-495, 2014 


(26) クリスチャン・ド・デューブという科学者、あるいは「知的誠実さ」という価値
医学のあゆみ (2014.3.8) 248 (10): 811-815, 2014 

(27) 生命か自由か、あるいは尊厳ある生の終わり方
医学のあゆみ (2014.4.12) 249 (2): 202-206, 2014

(28) 久し振りのマンハッタンで生物意味論の世界を覗き、科学と哲学の関係を再考する
医学のあゆみ (2014.5.10) 249 (6): 565-569, 2014

(29) 風光明媚なブルターニュで、医学と人間の生における時間を考える
医学のあゆみ (2014.6.14) 249 (11): 1211-1215, 2014

(30) アトピーと哲学、そしてモンテーニュが試みたこと
医学のあゆみ (2014.7.12) 250 (2): 165-169, 2014

(31) 倫理と道徳、そして医学教育における人文・社会科学を考える
医学のあゆみ (2014.8.16) 250 (6,7): 529-533, 2014

(32) 国境の町リールで、「科学の形而上学化」について再考する
医学のあゆみ (2014.9.13) 250 (11): 1063-1068, 2014

(33) 目的論は本当に科学の厄介者なのか、あるいは目的は最後に現れる
医学のあゆみ (2014.10.11) 251 (2): 199-202, 2014

(34) ジョルジュ・カンギレムの考えた治癒、あるいはこの生への信頼
医学のあゆみ (2014.11.8) 251 (6): 525-529, 2014

(35) 国立自然史博物館で、「生命を定義する」ということを考える
医学のあゆみ (2014.12.13) 251 (11): 1099-1103, 2014


2015

(36) 記憶の中の探索、あるいは 「考える」 という精神運動
医学のあゆみ (2015.1.10) 252 (2): 209-213, 2015

(37) 「魂の医者」 エピクロス: その哲学と生き方
医学のあゆみ (2015.2.14) 252 (7): 835-839, 2015

(38) 記憶のクラススイッチ、あるいは「出来事」から創造へ
医学のあゆみ (2015.11.14) 255 (7): 787-791, 2015

(39) 「わたしの真理」への道、あるいは人類の遺産と共に考える
 医学のあゆみ (2015.12.12) 255 (11): 1140-1144, 2015


2016

(40) デフォルト・モード・ネットワーク、あるいはぼんやりすることの意味
医学のあゆみ (2016.1.9) 256 (2): 178-182, 2016

(41) 哲学的感情、あるいは世界の全体をどこに見るのか
医学のあゆみ (2016.2.13) 256 (7): 847-851, 2016

(42) 「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」、あるいは科学の言葉
医学のあゆみ (2016.3.12) 256 (11): 1179-1183, 2016

(43) ピエール・アドー、あるいは「哲学への改宗」
医学のあゆみ (2016.4.9) 257 (2): 193-197, 2016

(44) 外国語との付き合い、あるいはなぜ外国語を学ぶのか?
医学のあゆみ (2016.5.14) 257 (7): 803-807, 2016

(45) 作るのではなく、生まれいずるのを待つ、そしてネガティブ・ケイパビリティ再び
医学のあゆみ (2016.6.11) 257 (11): 1187-1191, 2016

(46) 「意識の第三層」、あるいはパスカルの「気晴らし」
医学のあゆみ (2016.7.9) 258 (2): 185-189, 2016

(47) ドーバー海峡が分けるもの、あるいは分析哲学と大陸哲学
医学のあゆみ (2016.8.20) 258 (8): 815-819, 2016

(48) オーギュスト・コントの人類教、あるいは「科学の形而上学化」の精神
医学のあゆみ (2016.9.10) 258 (11): 1085-1089, 2016

(49) スートゥナンス、そして学生であるということ
医学のあゆみ (2016.10.8) 259 (2): 205-209, 2016

(50) 新しい町トゥールで始まる研究生活、そして広がり繋がる空間
医学のあゆみ (2016.11.12) 259(7): 811-815, 2016

(51) ディオゲネス、あるいは「率直に語る」ということ
医学のあゆみ (2016.12.10) 259(11): 1168-1171, 2016


2017

(52) 文化としての科学、あるいは「科学の形而上学化」の実践
医学のあゆみ (2017.1.14) 260 (2): 187-191, 2017

(53) トルストイの生命論、科学批判、人生観、そしてメチニコフ再び
医学のあゆみ (2017.2.11) 260 (6): 550-554, 2017

(54) 植物という存在、あるいは観るということ
医学のあゆみ (2017.3.11) 260 (10): 934-938, 2017

(55) オーガニズム、あるいは「あなたの見方を変えなければなりません」
医学のあゆみ (2017.4.8) 261 (2): 204-208, 2017

(56) 「自己の中の他者」、あるいは自由人葛飾北斎とルネサンスマン平田篤胤
医学のあゆみ (2017.5.13) 261 (7): 778-782, 2017

(57) 現代フランスにおける「生の哲学」、そして哲学すべき状況とは?
医学のあゆみ (2017.6.10) 261 (11): 1123-1127, 2017

(58) 文明と文化、そしてそこから見える科学
医学のあゆみ (2017.7.8) 262 (2): 190-194, 2017

(59) エピクテトスとマルクス・アウレリウス、そして現代に生きるストア哲学
医学のあゆみ (2017.8.19) 262 (7, 8): 750-754, 2017

(60) 瞑想とフランス生活、そしてその効果を想像する
 医学のあゆみ (2017.9.9) 262 (11): 1061-1065, 2017

(61) マルセル・コンシュ、あるいは哲学者の生活
医学のあゆみ (2017.10.14) 263(2): 211-215, 2017

(62) 絶対的真理への道、その第一歩はあらゆる生の経験を意識することか
医学のあゆみ (2017.11.11) 263 (6): 551-555, 2017

(63) エルンスト・ヘッケル、あるいは一元論的知、倫理、美の探究
医学のあゆみ (2017.12.9)263 (10): 886-890, 2017


2018

(64) 啓蒙主義と反啓蒙主義、あるいは我々を分断するもの
医学のあゆみ (2018.1.13)264 (2): 202-206, 2018

(65) 瞑想生活から省察生活へ、あるいは新しい内的均衡への移行
医学のあゆみ(2018.2.10)264 (6): 562-566, 2018

(66)プラトンの『パイドン』、あるいは魂の永遠を考える
医学のあゆみ(2018.3.19)264 (10): 930-934, 2018

(67) パウル・カンメラーとウィリアム・サマリン、あるいは科学を歪めるもの
医学のあゆみ(2018.4.14)265 (2): 182-186, 2018

(68) 翻訳という作業、あるいはエドゥアール・グリッサンという作家
医学のあゆみ(2018.5.12)265 (6): 539-543, 2018

(69) ハンス・ゲオルク・ガダマー、あるいは対話すること、理解すること
医学のあゆみ(2018.6.9)265 (10): 911-915, 2018

(70)静寂と沈黙の時間、あるいは自己を自己たらしめるもの
医学のあゆみ(2018.7.14)266 (2): 184-187, 2018

(71)最初の外科医アンブロワーズ・パレ、あるいは癒しの哲学と驚くべき活力
医学のあゆみ(2018.9.8)266 (10): 815-819, 2018

(72)反骨の医者パラケルスス、その自然哲学と錬金術
医学のあゆみ(2018.10.13)267 (2): 176-180, 2018

(73)風土と人間、あるいは土地を選ぶということ
医学のあゆみ(2018.11.10)267 (6): 488-492, 2018

(74)ハイデッガーによる「テクネー」、あるいは技術から現代を考える
医学のあゆみ(2018.12.8)267 (10): 800-804, 2018


2019

(75)シンポジウム「医学における人間」で、現代医学の課題を考える
医学のあゆみ(2019.1.12)268 (2): 166-170, 2019

(76)日常性と精神性のバランス、あるいはいま蘇るべき古代哲学の伝統
医学のあゆみ(2019.2.9)268 (6): 536-540, 2019

(77)病気とコスモポリタニズム、あるいは生の規範の作り変え
医学のあゆみ(2019.3.9)268 (10): 884-887, 2019

(78)CRISPR-Cas、あるいは免疫系と神経系を結ぶもの
医学のあゆみ(2019.4.13)269 (2): 179-183, 2019 

(79)CRISPR-Cas、あるいは「獲得形質の遺伝」を再考する
医学のあゆみ(2019.5.11)269 (6): 506-509, 2019

(80)科学とメタファー、あるいはプラトンにとっての医学
医学のあゆみ(2019.6.8)269 (10): 830-833, 2019

(81)ハイデッガーによる人間存在、あるいは「真の人間に成る」とは
医学のあゆみ(2019.7.13)270 (2): 211-214, 2019

(82)エドワード・O・ウィルソン、あるいは生物界における利他主義
医学のあゆみ(2019.8.17)270 (7): 586-590, 2019

(83)リュシアン・ジェルファニョン、あるいは「古代に生きる」ということ
医学のあゆみ(2019.9.14)270 (11): 1099-1102, 2019

(84)哲学者ミシェル・セール、あるいは「橋を架ける」ということ
医学のあゆみ(2019.10.12)271 (2): 226-230, 2019

(85)生物における情報の流れ、あるいは情報の定義は可能なのか
医学のあゆみ(2019.11.9)271 (6): 625-629, 2019

(86)形而上学とは、そして科学におけるその役割を再考する
医学のあゆみ(2019.12.14)271 (11):1255-1258, 2019


2020

(87)『これからの微生物学』から見えるこの世界、そして科学の言葉再び
医学のあゆみ(2020.1.11)272 (2): 194-197, 2020

(88)ヴォルテールとルソー、あるいは21世紀を考えるための二つの極
医学のあゆみ(2020.2.8)272 (6): 563-566, 2020

(89)シュペングラーの技術論、あるいは近代文明の宿命を逃れる道はあるのか
医学のあゆみ(2020.3.14)272 (11): 1171-1174, 2020

(90)『近代の超克』、あるいは日本人による日本の科学と知の省察
医学のあゆみ(2020.4.11)273(2): 203-206, 2020

(91)『知性改善論』、あるいは世界の理解と幸福に至るための道標
医学のあゆみ(2020.5.16273(7): 615-618, 2020

(92)COVID-19パンデミック、あるいは一観察者に見えてきたもの
医学のあゆみ(2020.6.13)273(11): 1115-1118, 2020

(93)COVID-19パンデミック、あるいは「前」と「後」を考える
医学のあゆみ(2020.7.11)274(2): 237-240, 2020
医学のあゆみ(2021.1.9)276(2): 177-180, 2021
 
医学のあゆみ(2021.3.13)276(11): 1085-1088, 2021

医学のあゆみ(2021.5.8)277(6): 507-510, 2021

医学のあゆみ(2021.7.10)278(2): 180-183, 2021

● Virtue epistemology, or a role of “metaphysicalization of science”


医学のあゆみ(2021.9.11)278(11): 1007-1010, 2021

● My Way by centenarian Edgar Moran and natural philosophy as my way


医学のあゆみ(2021.11.13)279(7): 759-763, 2021

●  The “metaphysicalization of science” as a culture, and why the “scientific spirit” once again now?







2022

医学のあゆみ(2022.1.8)280(2): 184-187, 2022

● Memorandum for reflecting on “Science and Religion”


医学のあゆみ(2022.3.12)280(11): 1200-1203, 2022

● Beyond “A journey into the heritage of humanity”