「パリから見えるこの世界」


医学のあゆみ 連載エッセイ
« Un regard de Paris sur ce monde »

2012年2月から月に1回のペースで総合医学誌「医学のあゆみ」に医学、科学、哲学、歴史、フランスなどをキーワードに書いています。

2012

(1) 科学から哲学、あるいは人類の遺産に分け入る旅
医学のあゆみ (2012.2.11) 240 (6): 549-552, 2012

(2) 自然免疫、あるいはイリヤ・メチニコフとジュール・ホフマン
医学のあゆみ (2012.3.10) 240 (10): 837-840, 2012

(3) モンペリエの生気論者ポール・ジョゼフ・バルテ、あるいは過去が漂う世界
医学のあゆみ (2012.4.14) 241 (2): 171-174, 2012

(4) フランスの大学で哲学教育を受け、文化に根差すということを考える
医学のあゆみ (2012.5.12)241 (6): 486-490, 2012

(5) フィリップ・クリルスキー教授とともに専門と責任の関係を考える
医学のあゆみ (2012.6.9) 241 (10): 802-805, 2012

(6) クラーク精神から近代科学の受容の背後にあるものを考える
医学のあゆみ (2012.7.14) 242 (2): 213-216, 2012

(7)  ニールス・イェルネというヨーロッパの哲学的科学者から見えてくるもの
 医学のあゆみ (2012.8.11) 242 (6): 559-563, 2012

(8) フランソワ・ジャコブという存在、あるいは科学は哲学に行き着くのか
医学のあゆみ(2012.9.8) 242 (10): 832-836, 2012

(9) ルドヴィク・フレックという辺境の哲学的医学者と科学社会学
医学のあゆみ(2012.10.13) 243 (2): 203-206, 2012

(10) エルンスト・マイヤーとシーウォル・ライトというセンテナリアン、あるいは100歳からものを観る
  医学のあゆみ(2012.11.10) 243 (6): 551-554, 2012

(11) ダーウィンのパンゲン説,あるいは科学が求める説明
 医学のあゆみ(2012.12.8) 243 (10): 929-933, 2012


2013

(12) 初めて知る「世界哲学デー」で哲学教育を考える
医学のあゆみ(2013.1.12) 244 (2): 196-199, 2013 

(13) 21 世紀の科学,あるいは新しい「知のエティック」
医学のあゆみ(2013.2.9) 244 (6): 572-576, 2013

(14) 森鷗外とパウル・エールリッヒを結ぶもの
医学のあゆみ(2013.3.9) 244 (10): 944-947, 2013

(15) 「水の記憶」の科学者ジャック・バンヴェニストとリュック・モンタニエ
医学のあゆみ(2013.4.13) 245 (2): 203-206, 2013

(16) 修道僧にして哲学者、科学者のジョルダーノ・ブルーノ、その壮大な宇宙
医学のあゆみ (2013.5.11) 245 (6): 541-545, 2013

(17) アリストテレスのエネルゲイア、あるいはジュリアン・バーバーの時間
医学のあゆみ (2013.6.8) 245 (10): 895-899, 2013

(18) ペスト菌発見者アレクサンドル・イェルサンという人生と北里柴三郎
医学のあゆみ (2013.7.13) 246 (2): 201-205, 2013

(19) リチャード・ロバーツ卿の考える科学、そして黒澤和教授のこと
医学のあゆみ (2013.8.17) 246 (6,7): 522-526, 2013

(20) ネガティブ・ケイパビリティ、あるいは不確実さの中に居続ける力
医学のあゆみ (2013.9.14) 246 (11): 989-993, 2013

(21) 17世紀の科学から豊穣と悦びのオランダの旅へ
医学のあゆみ (2013.10.12) 247 (2): 213-217, 2013

(22) デン・ハーグでエッシャーを発見、そしてスピノザの世界を想う
医学のあゆみ (2013.11.9) 247 (6): 577-581, 2013

(23) イスラエルでラマルクと進化を考える
医学のあゆみ (2013.12.14) 247 (11): 1193-1197, 2013


2014

(24) 後世はラマルクの復讐をしたのか、そして初めてのイスラエル
医学のあゆみ (2014.1.11) 248 (2): 174-178, 2014 

(25) 2013年、パリ、ロスコフ、ニューヨークで医学の哲学を考え始める
医学のあゆみ (2014.2.8) 248 (6): 491-495, 2014 


(26) クリスチャン・ド・デューブという科学者、あるいは「知的誠実さ」という価値
医学のあゆみ (2014.3.8) 248 (10): 811-815, 2014 

(27) 生命か自由か、あるいは尊厳ある生の終わり方
医学のあゆみ (2014.4.12) 249 (2): 202-206, 2014

(28) 久し振りのマンハッタンで生物意味論の世界を覗き、科学と哲学の関係を再考する
医学のあゆみ (2014.5.10) 249 (6): 565-569, 2014

(29) 風光明媚なブルターニュで、医学と人間の生における時間を考える
医学のあゆみ (2014.6.14) 249 (11): 1211-1215, 2014

(30) アトピーと哲学、そしてモンテーニュが試みたこと
医学のあゆみ (2014.7.12) 250 (2): 165-169, 2014

(31) 倫理と道徳、そして医学教育における人文・社会科学を考える
医学のあゆみ (2014.8.16) 250 (6,7): 529-533, 2014

(32) 国境の町リールで、「科学の形而上学化」について再考する
医学のあゆみ (2014.9.13) 250 (11): 1063-1068, 2014

(33) 目的論は本当に科学の厄介者なのか、あるいは目的は最後に現れる
医学のあゆみ (2014.10.11) 251 (2): 199-202, 2014

(34) ジョルジュ・カンギレムの考えた治癒、あるいはこの生への信頼
医学のあゆみ (2014.11.8) 251 (6): 525-529, 2014

(35) 国立自然史博物館で、「生命を定義する」ということを考える
医学のあゆみ (2014.12.13) 251 (11): 1099-1103, 2014


2015

(36) 記憶の中の探索、あるいは 「考える」 という精神運動
医学のあゆみ (2015.1.10) 252 (2): 209-213, 2015

(37) 「魂の医者」 エピクロス: その哲学と生き方
医学のあゆみ (2015.2.14) 252 (7): 835-839, 2015

(38) 記憶のクラススイッチ、あるいは「出来事」から創造へ
医学のあゆみ (2015.11.14) 255 (7): 787-791, 2015

(39) 「わたしの真理」への道、あるいは人類の遺産と共に考える
 医学のあゆみ (2015.12.12) 255 (11): 1140-1144, 2015


2016

(40) デフォルト・モード・ネットワーク、あるいはぼんやりすることの意味
医学のあゆみ (2016.1.9) 256 (2): 178-182, 2016

(41) 哲学的感情、あるいは世界の全体をどこに見るのか
医学のあゆみ (2016.2.13) 256 (7): 847-851, 2016

(42) 「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」、あるいは科学の言葉
医学のあゆみ (2016.3.12) 256 (11): 1179-1183, 2016

(43) ピエール・アドー、あるいは「哲学への改宗」
医学のあゆみ (2016.4.9) 257 (2): 193-197, 2016

(44) 外国語との付き合い、あるいはなぜ外国語を学ぶのか?
医学のあゆみ (2016.5.14) 257 (7): 803-807, 2016

(45) 作るのではなく、生まれいずるのを待つ、そしてネガティブ・ケイパビリティ再び
医学のあゆみ (2016.6.11) 257 (11): 1187-1191, 2016

(46) 「意識の第三層」、あるいはパスカルの「気晴らし」
医学のあゆみ (2016.7.9) 258 (2): 185-189, 2016

(47) ドーバー海峡が分けるもの、あるいは分析哲学と大陸哲学
医学のあゆみ (2016.8.20) 258 (8): 815-819, 2016

(48) オーギュスト・コントの人類教、あるいは「科学の形而上学化」の精神
医学のあゆみ (2016.9.10) 258 (11): 1085-1089, 2016

(49) スートゥナンス、そして学生であるということ
医学のあゆみ (2016.10.8) 259 (2): 205-209, 2016

(50) 新しい町トゥールで始まる研究生活、そして広がり繋がる空間
医学のあゆみ (2016.11.12) 259(7): 811-185, 2016

(51) ディオゲネス、あるいは「率直に語る」ということ
医学のあゆみ (2016.12.10) 259(11): 1168-1171, 2016


2017

(52) 文化としての科学、あるいは「科学の形而上学化」の実践
医学のあゆみ (2017.1.14) 260 (2): 187-191, 2017

(53) トルストイの生命論、科学批判、人生観、そしてメチニコフ再び
医学のあゆみ (2017.2.11) 260 (6): 550-554, 2017

(54) 植物という存在、あるいは観るということ
医学のあゆみ (2017.3.11) 260 (10): 934-938, 2017

(55) オーガニズム、あるいは「あなたの見方を変えなければなりません」
医学のあゆみ (2017.4.8) 261 (2): 204-208, 2017

(56) 「自己の中の他者」、あるいは自由人葛飾北斎とルネサンスマン平田篤胤
医学のあゆみ (2017.5.13) 261 (7): 778-782, 2017

(57) 現代フランスにおける「生の哲学」、そして哲学すべき状況とは?
医学のあゆみ (2017.6.10) 261 (11): 1123-1127, 2017

(58) 文明と文化、そしてそこから見える科学
医学のあゆみ (2017.7.8) 262 (2): 190-194, 2017

(59) エピクテトスとマルクス・アウレリウス、そして現代に生きるストア哲学
医学のあゆみ (2017.8.19) 262 (7, 8): 750-754, 2017

(60) 瞑想とフランス生活、そしてその効果を想像する
 医学のあゆみ (2017.9.9) 262 (11): 1061-1065, 2017

(61) マルセル・コンシュ、あるいは哲学者の生活
医学のあゆみ (2017.10.14) 263(2): 211-215, 2017

(62) 絶対的真理への道、その第一歩はあらゆる生の経験を意識することか
医学のあゆみ (2017.11.11) 263 (6): 551-555, 2017

(63) エルンスト・ヘッケル、あるいは一元論的知、倫理、美の探究
医学のあゆみ (2017.12.9)263 (10): 886-890, 2017