6.5.12

2-SHE 「決定論と自由」

第2回 「科学から人間を考える」 試み
 


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The Second Gathering SHE (Science & Human Existence)

テーマ: 「科学の決定論と人間の自由を考える」
Determinism and Free Will

2012年4月17日(火)+18日(水) 18:20~20:00

会場: カルフール Carrefour 会議室 

(東京都渋谷区恵比寿4-6-1 恵比寿MFビルB1)


第2回のまとめ

  今回使用したスライド(イントロ)

講師の発表内容

  テーマの選択について


今回のテーマもいつものように気分に任せて一瞬で決めてしまった。準備する過程で、中に設けた小項目自体が一つの大きなテーマになり得るもので、短い時間でカバーするのは難しいことに気付くことになった。次回以降もう少し考えてから決めることにしたい。ただ、今の段階では問題のポイントを大雑把に捉えていく ことでよいのではないかという気持ちもある。将来、それぞれのテーマについて、もう少し深く突っ込むことになるかもしれない。

 会の形式について

前回は自己紹介なしで始まったが、今回は前回いただいたサジェスチョンを取り上げ、簡単な自己紹介から始まった。これで少し打ち解けたように感じたが、わたし自身もどのようなお考えで参加されているのかを掴むよい機会となった。前回、講師が1時間超話した後に30分程度のディスカッションという形式をとっ たが、時間が足りなくなったので、今回は講師の話を30分程度に抑えて、残りの1時間をディスカッションとした。前回よりは落ち着いた議論ができたように感じたが、時間が経つにつれてリラックスして盛り上がるようになるので、もう少し時間に余裕があってもよいのかもしれない。今後の検討課題になるだろう。

  会場について 

今回はありがたいことに定員を超える申し込みがあった。カルフールの方のアドバ イスを考慮に入れ、お断りせざるを得ない方が出てご迷惑をおかけした。また、時間を気にしないでもう少し議論できる場所を探した方がよいのではないかとの声も聞こえた。今後、会場の選択も考慮の対象になるかもしれない。

  懇親会について


初回にはわたしに予定が入っていたため設定できなかったが、交流の時間を設けた方がよいとの声があり、今回初めて設定した。大部分の方が参加され、貴重なご意見を伺うことができた。参加された方もそれぞれに得るものがあったことを願っている。講師としては、会の時に見える印象とは全く違う面を発見することができ、興味深い時間となった。これからも続けることにしたい。

参加者について


今回参加された方の約半数は初めての方であった。大部分はネット経由でこの会の情報を得たようだが、今回もポスター掲示をお願いした1-2の大学やアテネ・ フランセ経由の方もおられ、その効果に驚いた。これからも小さな窓をいろいろなところに設ける必要があると感じた。  

今回参加された大部分は東京周辺の方であったが、中には福島、さらには京都からの参加もあり、驚くと同時に主催者としてありがたい気持ちになった。年齢層は大学生から定年を過ぎた方まで幅広く、当初の期待に近いものであった。具体的には、これからの人生を考えておられる方、科学を文学的視点から見ようとされている詩人、大学や研究所に勤務されている方、高校教師、病院勤務の医師、大学生や大学院生、出版社の編集者、会社を経営されている方など多彩で、中には哲学カフェや科学情報サイトの運営に関わっていたり、科学技術論を勉強されている方もおられ、講師が勉強するための会と言った方がよいものであった。いずれにしても双方向、多方向の知の交流が網の目状に起こるこのような会は魅力的であると改めて感じた。

参加者からのコメント

● 火曜日は、いろいろ、ありがとうございました。また、会の運営、お疲れさまでした。矢倉さんのプレゼンテーションの中では、ラプラスの悪魔の話が、一番、 興味を惹かれました。ラプラスの決定論の出典を見ると、「確率の哲学的試論」であることがわかり、確率論と決定論には、内在的な関連性があるのではないかと、思いました。その連関を読みとければ、原発事故を確率事象として捉える現在の原子力村の背後には、決定論的な考え方があることになります。原子力事故 という人間の生み出した「社会的存在」に確率論を適用することは、「人間の自由」を疎外することになるのではないかと考えています。この点を、自分なりに思索を深めていきたいと考えています。では、またの機会に。

● スライドをお送りいただきありがとうございます。会議とは異なりなかなかに面白い会でした。次回は9月中旬とのお話でしたが、9月19日からの学会と重ならなければ良いのですが・・・  

● スライドありがとうございました。先日はとても有意義なご講演をいただきありがとうございます。とくに一番最初のéclipse de Luneのようなスライドは多くの示唆を含むものでした。また、わたくしもそろそろ定年を迎える年齢なので先生が仕事がないと自由に感じるというお言葉も とても貴重なものでしたが、日本の便利な生活にどっぷり浸かっていると、頭の上にある世界をのぞくこともできないのかと心配になります。次回もたのしみに しております。  

● 昨日は楽しい会をありがとうございました。また、終了後はもう少しお話などしたかったのですが、あわただしくお暇するような形になってしまいすみませんでした。

決定論と自由意志という点について、これまで私自身の中でなんとなく考えていたことと、哲学史の中での様々な思想との関連付けがぼんやりとですができたように思います。私自身はたぶんラプラスと同じような考えを持っていて、生命を含めたあらゆるものの運命は既に決まっている(ただし我々は全能の存在ではないのでその運命は知り得ない)といった世界観を持っているのですが、そうではない考えをされている方がどのように思っているかを聞けて楽しかったです。決定 論および自由意志それぞれの存在を認めるか否かで4つの立場(Hard determinismやLibertarianism)があるとプレゼンテーションで紹介されていましたが、参加された皆様がそれらのどれに属しているのか。および、会の前後でその考え方が変わったかどうかが聞けたら面白いなと思いました。または会の前にあらかじめアンケートしておく、とか…? 科学と宗教・文化との関連にも話が膨らみ興味深かったです。ただし1時間という限られた時間で扱うにしては、少々話題が膨らみすぎたのかな、というようには個人的には思いました。

以上、思いつくままにつらつらと書いてしまいましたが、次回の会にも都合がつけば参加させて頂きたいと思っております。昨日はありがとうございました。

● スライドをお送り頂きありがとうございます。昨夜は矢倉先生と直接お話する機会を長時間得られ大変有意義でした。また、他の出席者の発言も刺激となるものでした。それでは、またの機会にお会いできることを楽しみに。

● 昨日はありがとうございました。ディスカッションもいろいろなご意見が聞けて興味深かったですが、先生のお話がもう少し長くてもよかったのではないか、と思いました。好奇心、時間、自由が必要とおっしゃいましたが、好奇心はありますが、時間と自由がなかなかないひとが多いと思います。そういうひとにはやは り哲学は無理でしょうか?

● 昨日は楽しいお話、ありがとうございました!科学を追求して来られたにも関わらず、さらに新しい領域に関心を持って、いろんな方と関わっていくというのは、簡単なようでなかなかできるものではなく、先生の魅力なところの1つだなと感じました。違いを融合する能力、それをできる人がこれから必要になってく ると思っています。

● 昨日は、決定論と自由意思についての貴重な講義をして頂き、矢倉先生には大変感謝しております。「パリから観る」からでしょうか。本当に、何気なく学ばせ て頂くようになり、それもタダで。 わたしは、いっぱい素晴らしい学びをさせて頂いたと思っております。感謝です。・・・飲み会で、皆さんとも楽しくお話が出来て、昨夜は大変楽しい一夜でし た。ありがとうございました。ファイルも見せて頂きますね!これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。

● 昨日の先生のお話、とても楽しんで集中して参加させていただくことができました。様々な哲学者の素敵な言葉を教えて頂くことができ、それを今改めて自分な りに咀嚼しているところです。特にその中、サルトルの「存在は本質に先行する」という言葉に妙に納得を覚えます。この言葉を初めて知ったのは私が高校の時でありますが、その当時と今では全く捉え方が変わって、今は少し実感を持って言葉を受け取る事ができるようになった事に気付きました。偉大な哲学者の言葉で語り継がれているものは、どれもどこか惹かれるものを感じます。また9月頃試みでお会いできる事を楽しみにしております。

● 今まで聞いたことのない言葉、見たことのない世界、問うたことのない問いetc  普段使っていない頭が刺激されて、楽しい時を堪能させていただきました。改めてこのような会を主宰された先生に深く感謝申し上げます。先生のレクチャー、 自由討議、懇親会と3段階に分かれた会の形式も、それぞれに対応した多種多様の重層的な関わり方ができて好ましく、ぜひとも懇親会なども今後も続けて開催 して頂ければ幸いです。日頃は、「決定論」など気づかない振りをして生活しておりますが、ふとした機会に「縁」を感じてしまうこともあり、先生のブログ冒頭にある以下の言葉に深く共感する次第です。「偶然は存在しない。あるのは約束された出遭いだけだ」  9月の会でも思いがけない言葉、人々との出遭いを、おおいに楽しみにしております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

● 会の開催、懇親会の設定、そしてスライドの送付と、諸々ありがとうございました。文系出身なので、理系的な活発な議論に耳を傾けるのがやっと、という状態でしたが 「知を愛するその愛」にしっかり誘われています!  懇親会では、岩倉先生や得丸氏とお話できて楽しかったです。多彩な方々と出会う機会を作ってくださったことに重ねて感謝です。今度は矢倉先生ともお話しし たいです。フランスのテレビ番組に哲学的討論番組がある、とおっしゃっていたかと思ったのですが、フランスの知的成熟度やそれを支える環境のことなどうかがってみたいです。未知なことに飛び込むのは勇気が必要でしたが、自由意志によってこの会に参加しました。このことが自分の人生の因果法則・予定にどんな 変化をもたらすかなと、漠とした期待をいだいています。

● 先日は大変お世話になりました。また早速ご講演内容の資料をお送りいただきましてありがとうございます。常に変容を心がけ、それを続けて行かれるご発言に惹かれ、一言初回参加の感想を述べさせて いただきます。まず、5%と95%の思考と行動の枠組み図に大変興味をもたせていただきました。その後の議論がいささか幅広い観点へと飛んでいったことを 考えると限られた時間では、このチャート一枚に絞って皆様での議論という行程がよかったのではないかと思います。

「科学」と「人間」については、気づき始めたものが一人二人とその境界を越え、あるいは融合を図るべく動き出している感じもしております。例えば僧侶と医師 (「僧医」の対本宗訓氏)など。あるいは最近身近なところでは、はやぶさプロジェクトリーダー 川口淳一郎氏にみられる科学技術者と教育者・・・  すべて人間がもつ可能性という力、95%への扉を開け、道なきこの先へ己の信念だけを頼りに進む姿かと思います。

そうした新たな扉の前にお立ちになっておられるお姿に多くの人々が引き寄せられ、集まってきていたように感じました。できましたら、一度お集まりの皆さまと一堂に会し、それぞれのこの会への期待を含め、遠いテーマ・重たい課題をあえて今の自分に引き寄せる作業をする機会をおつくりいただければと思っておりま す。これからますますのご活躍と仲間たちへの刺激づけにご活躍いただけますこと、期待を申しあげております。ありがとうございました。

● 先日の「科学から人間を考える」の講義のまとめと写真と送って頂き大変感謝致します。また、スライドの方も本当にありがとうございました。大方メモをさせては頂いたのですが、貴重なものを頂いて本当に嬉しく思います。人と人との出会い、一つのテーマによって、出会うはずのない人たちに交流が始まること、その時の発言から、触発されたり、意識の芽が伸びること・・・ じわじわと、本当に素敵な会であったと感じています。ひとつ、paulさんのフランス語を聴いてみたかったです。控えめな語り口が・・・なんとなくフランスらしさ・・・なのかしら? なんて・・。 政治家は声を大きく張り上げますが・・・サルコジさんも大統領選でどうなるのでしょう? 皆さんとのお話も楽しかったし、あんな風に・・・異業種の方々と科学的なお話が出来るって 本当に楽しいですね~♪

● 二度目の出席ということもあってか、自分の感じたことがはっきりせず、お礼も申し上げないまま失礼していました。まだ、自分でもよくわからないのですが、あれからいろいろ考えています。自分 のことについて申します。これまでの経験の中に哲学があるのではないかと思い続けてきましたので、矢倉さんのブログに出会ったとき、言葉から伝わる思いに共感するものが多くやはり哲学だと確信しました。自分のいる場所を変えて、自分がどんなふうに変化するのか実感したいと常々考えてきた私は初回のお話をうかがって、65歳を期に実験(この言葉が適切かどうかわからないのですが)してみようと決心しました。ただ哲学といっても、しっかり基本的な知識があるわけではありませんので、非常に身勝手なとらえ方をしているのだろうと思っています。矢倉さんのお話を聞きたいと思ったのは、そこを探ってみ たいという思いがあったからだと気付きました。

これまでの私の専門は《衣》でしたが、それは人間を考えることでもありました。私にとってまったく未知の分野である科学から人間を考えるとどうなるのか。受講したのは文字ではなく生の声を通してお考えを受け取りたかったのです。ただ、わからないことも多くひとつひとつ確認しながら考えていく作業が続きそうです。直接お教えいただける機会に出席できなくなるのはとても残念ですが 秋までにはフランスに移動する予定です。ぜひまた、お話をうかがえる機会に恵まれることを願っています。どうぞよろしくお願い致します。ありがとうございました。

● セミナーの後、テーマについて少し考えたことをメールしようと思って おりましたが バタバタしていて纏まらずにいました。連休最終日に少し時間がありましたので 宿題?を提出します。

決定論と自由意志

現代科学の認識論から出発すると、決定論を是としなければ認識している事象の説明が出来ない。(もしくは論理矛盾を生じる)  「ホーキング 宇宙と人間を語る」に述べられているように、マルチバースと言われるパラレル・ワールドにおいて 我々の住む宇宙が“たまたま”今の宇宙の あり方を規定する物理定数を持ったということを認識した結果、宇宙の将来像についての記述を可能にし決定論を強く支持している。 しかしながら これを敷衍して生物反応や行動さらには人間の社会的行動までを決定論として論じられるだろうか? 宇宙のミクロな状態や極めてマクロな宇宙の将来の状態の記述は  我々の住む宇宙の持つ物理定数を元に推論・記述することが可能としても、生物反応や行動なかでも人間の行動やその結果の集合体である社会の未来の状態は決 定論として語るように推論・記述が可能であろうか。 推論・記述が可能となるためには生物反応や行動がこの宇宙の物理定数によって規定されるものとして反 応原理が還元されて記述されていなければならない。少なくとも今のところはそのような可能性は見つけられていない。もし、そのような可能性が発見されたとしても膨大な変数を持つモデルとなることが予想され人類がシュミレーションをすることが可能であるか否かも覚束ない。(このためのシュミレーターとして創 造主のごとく一つの宇宙を造り上げる必要があるかもしれない)

このように考えると、宇宙・物理における予測と生物や人間行動を「決定論」と言う一つの平面上で論ずるのは意味がないように思われる。前者の決定論については我々の科学的世界認識の前提として決定論を是とせねばならないが、後者の生物反応・行動とりわけ人間行動や社会現象については『決定論に従っているのかもしれないが、人間には把握不可能(不可知)なもの』として位置付けるのが良いように考えられる。不可知論を前提として、我々は自由意志がある(が如く振る舞うことができる、若しくは振る舞わざるを得ない)という態度を取るべきではないか。但し、基礎的な生物反応などを考えるとどこまでが決定論的に取り扱うことが可能でどこからがそうではないかと言う問いが生じてくるので、この問題の根本的な答えとは言えないかもう知れないが、少なくとも人間の精神活動における態度としては有用な見解のように思われる。   


フォトギャラリー

    

2012年4月17日(火)

  







 

  

2012年4月18日(水)

 








  

2日目の会の様子

  参加者のお一人から写真を提供していただきました。

ありがとうございます。

当日の雰囲気が伝わると思いますので、以下に掲載いたします。

    (2012年5月6日)

 

 



今後の予定


第3回: 「正常と病理を考える」

日時: 2012年9月11日(火)+12日(水) 

いずれも同じ内容です 

午後6時20分~午後8時 

定員: 約20名 

場所: カルフール会議室 (Carrefour

参加費: 一般の方は 1,500円 (コーヒー/紅茶が付きます)

 高校生・大学生は無料 (飲み物代は別になります) 

会終了後、懇親会を予定しています。 

詳細はこちらをご覧ください 


第4回: 11月下旬~12月上旬  
テーマは追ってお知らせいたします

よろしくお願いいたします。